東京地方裁判所 平成7年(ワ)25744号 判決 1997年11月18日
原告
百田喜夫
右訴訟代理人弁護士
小松雅彦
被告
大塚増夫
同
ヰゲタハイム株式会社
右代表者代表取締役
森田貴久雄
右両名訴訟代理人弁護士
美作治夫
主文
一 被告ヰゲタハイム株式会社は、原告に対し、金三五万円及びこれに対する平成八年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告大塚増夫に対する請求及び被告ヰゲタハイム株式会社に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告及び被告ヰゲタハイム株式会社に生じた各費用の一五分の一を被告ヰゲタハイム株式会社の負担とし、原告及び被告ヰゲタハイム株式会社に生じたその余の各費用並びに被告大塚増夫に生じた費用を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは、原告に対し、連帯して金五三二万四五五〇円及びこれに対する平成八年一月二四日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、賃貸アパートに居住し、深夜に個人タクシー運転手として稼働している原告が、原告居住のアパートに隣接して行われたマンション建築工事により騒音・振動等が発生したため、個人タクシー営業による収入が減少したなどとして、不法行為に基づき、マンション建築工事の建築業者及び施主に対し、これらによる精神的・肉体的苦痛について慰謝料等の損害賠償を求めた事案である。
一 前提事実(認定した事実には証拠を掲げる)
1 原告は、昭和四七年ころ以降、原告の肩書住所地にあるアパートの一階六号室を被告大塚増夫(以下「被告大塚」という)から賃借し、一人で居住している(以下では、右アパートを「原告アパート」といい、原告の居室を「原告居室」という)。
原告は、昭和一〇年生れの男性で、昭和五七年一一月、個人タクシーの免許を取得し、以来右住所地を営業所として個人タクシーを営業している(甲二の一)。
2 被告大塚は、原告アパートの所有者兼賃貸人であり、かつ、後記本件工事の施主である。
3 被告ヰゲタハイム株式会社(以下「被告会社」という)は、後記本件工事を行った建築業者である。
4 平成七年四月一七日以降、原告アパートに隣接する被告大塚所有のアパート(以下「旧アパート」という)が解体され、跡地に「(仮称)大塚マンション」(以下「本件マンション」という)を建築するための工事が開始された(以下「本件工事」という)。
被告会社は、本件工事の施工により振動、騒音を発生させた。
本件マンションと原告アパートの原告居室との距離は五〇センチメートル程度である(甲七、原告本人)。
5 原告と被告会社の交渉の経過
旧アパート解体の開始前に、被告大塚から原告に対して本件工事を施工する旨の挨拶があった。
工事開始後八日目の平成七年四月二四日、原告は、内容証明郵便で、被告会社に対し、騒音防止対策をとること、工事開始時間を午前一〇時からとすること、代替住居を提供すること、金銭による補償などを求める要望書を出した。
被告会社はこれに対し、同年五月一二日、防音シートを貼ること、代替住居として原告アパートの二階部分の二〇一号室を提供すること、引越代は被告会社が負担することを申し出、その後実際に防音シートを設置した。
原告は、さらに同年五月一七日、内容証明郵便で、被告会社に対し、慰謝料、営業補償等を要求した。
これに対し、被告会社は、東京都世田谷区瀬田所在の被告大塚所有のアパート(以下「瀬田のアパート」という)の一室を代替住居として提供することと金銭の支払を申し出た。
原告は、同年六月二七日、被告会社に対し、近隣住民として説明会を開催することを求め、被告会社はこれに応えて、同月三〇日、説明会を開催した。
原告は、同年七月三一日、世田谷区長宛に工事時間の変更等を求める紛争調整申出を行い、これを受けて、原告・被告会社双方出席のもとで斡旋手続が行われたが、二回期日が開かれた後打ち切られた。
そのため、原告は、同年一〇月二〇日、東京地方裁判所に対し、被告らを債務者として、工事時間の変更、慰謝料の支払を求める仮処分を申請し、その審尋の中で、被告らから原告に対し合計三軒の代替住居の申出があり、原告は、同年一一月二七日、その中の一軒に入居した。
6 本件工事現場及び原告アパートは、住居地域に位置しているところ、東京都公害防止条例により、住居地域においては午前八時から午後七時までの騒音規制基準は五〇デシベル、それ以外の時間帯は四五デシベルとされ、また、午前八時から午後七時までの振動規制基準は六〇デシベル、それ以外の時間帯は五五デシベルとされている(甲四一)。
なお、右条例では、右騒音・振動規制基準を超える騒音・振動を発生させた者に対しては、騒音・振動の防止方法について必要な改善措置を命ずることができるものとされ、また、右命令に反した者に対しては、一年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金を科するとする罰則規定がある(甲四一)。
二 当事者の主張
1 原告の主張
(一) 本件工事の騒音・振動による睡眠妨害
原告は、タクシーの運転手として午後七時から翌日の午前二時ころまで稼働しており、起床時間は概ね午前一〇時ないし一〇時三〇分ころであった。
被告らは、本件工事を午前八時から始め、多大な騒音及び振動を発生させた。一例を挙げると、原告アパート二階の廊下に設置した騒音測定器で測定したデータによれば、平成七年九月二二日午前八時から午前一〇時までの間に、六〇デシベル以上六五デシベル未満の騒音が八一九回、六五デシベル以上七〇デシベル未満の騒音が六〇四回、七〇デシベル以上七五デシベル未満の騒音が三八六回、七五デシベル以上八〇デシベル未満の騒音が一七四回、八〇デシベル以上八五デシベル未満の騒音が六一回、八五デシベル以上九〇デシベル未満の騒音が一八回、九〇デシベル以上九五デシベル未満の騒音が三回記録されている。
本件工事期間中、右のような騒音がほぼ継続したため、原告は午前八時以降十分な睡眠がとれず、工事が夕刻まで続くためその後に睡眠をとることもできなかった。
騒音による睡眠妨害の結果、原告は、慢性的な睡眠不足に陥り、生活リズムが狂い、心身共に疲れ果て、精神的に多大な損害を被るとともに、仕事ができない日が増えたため、平成五年四月以降の平均売上げは月額約二〇万円減少した。
(二) 被告らの右行為による原告の利益の侵害は、次に述べる事情に照らして受忍限度を超えている。
(1) 日照被害
原告アパートと本件マンションとの距離はわずか五〇センチメートル程度であるため、原告アパートは本件マンションにより日照が多大に侵害されることとなった。
(2) 防災上の不利益
本件工事により、旧アパートの敷地と原告アパートの敷地は相互に行き来できなくなったため、原告アパートの住人は公道に出る手段を一つ失い、原告は防災上の不利益を被った。
(3) 規制を潜脱した私益追求
本件マンションにおいては、総戸数三〇戸のうち広さ三〇平方メートル未満の戸数は一二戸であるから、広さ三〇平方メートル未満の戸数が一五戸以上の場合に適用される世田谷区のワンルームマンション等の建築に関する指導要綱は形式的には適用されないし、広さ三〇平方メートル以上の戸数が二〇戸以上の場合に適用される集合住宅指導要綱の適用もない。
しかし、本件マンションは、総戸数のうち一二戸が広さ30.09平方メートルであり、実質的に見れば広さ三〇平方メートル以下の戸数が二四戸あるのと変わらないし、広さ三〇平方メートルの戸数を入れると総戸数は三〇戸であるから、集合住宅要綱が規制する駐車場の確保の問題も生じている。
すなわち、本件マンションは、巧妙に規制の抜け穴をくぐり、狭い面積で最大限の住戸のある建物を建てて私的な利益を得ようとしているものであり、被告会社の工事には公共性、公益目的などはない。
他方、原告は、タクシーの運転手として深夜にわたり真面目に稼働していたものであるが、個人タクシーという仕事は役所の認可事業であって高い公益性がある。近時、深夜に稼働する人間が増加しており、夜間の安全な交通手段としてタクシーの重要性は高まっている。
(4) 被告らの対応の不誠実
被告らは、前記のとおり、原告からの代替住居の提供要求に対し、原告アパート内の一室ないし瀬田のアパート等を代替住居として提供する旨申し出たものの、原告が何年も住み慣れた住居から引っ越ししなければならない理由はなく、また、いずれの代替住居も騒音が激しい場所で、かつ、原告が営業車を停車している駐車場から離れているため、代替住居として適当なものではなかった。
また、被告らは、原告の苦情に対し、防音シートを設置したが、あまり効果は感じられなかった。
このように、被告会社は、交渉の過程で、原告の被害を減少させるための誠意ある対応を採らなかった。
(三) 損害
原告は、本件工事の振動・騒音により、睡眠が妨げられ、健康が侵害され、多大な精神的苦情を被った。また、タクシー営業についても、営業時間を削ったり、営業日数を減らしたりせざるを得なくなり、収入も減少した。この被害は、慰謝料及び収入減による営業補償をあわせて考えると、一日当たり二万円と評価するのが相当である。したがって、工事が開始された平成七年四月一七日から代替住居に入居した同年一一月二八日までの二二六日間についてこれを合計すると、四五二万円になる。
また、原告は本件工事による被害を立証するためにビデオカメラ等を使用し、そのフィルム代等諸費用として合計六万四五五〇円を出捐し、本件訴訟を遂行するために八〇万円の弁護士費用を必要とした。
以上、被告らの不法行為により原告が被った損害は総額で金五三八万四五五〇円である。
2被告らの主張
本件工事の騒音・振動による原告の利益侵害は次のとおり受忍限度の範囲内である。
(一) 本件工事の作業時間の正当性
本件工事の作業時間は原則として午前八時から午後六時三〇分であるが、音の出る工事については原則として午前九時から午後五時までとしていた。建築工事の作業時間は右のように設定されるのが一般的であって、近隣に深夜就業者が居住していることは作業時間変更の理由にはならない。
(二) 本件工事の適法性
本件工事においては、振動規制に関する法令による規制を受ける作業はなく、全行程の内、杭頭処理工事のみが騒音規制法による規制を受ける特定建設作業に含まれるが、被告会社は、法令の規定に従って平成七年五月二五日に特定建設作業実施届出書を世田谷区長に提出した上で、右杭頭処理工事を行っている。
本件工事は、ワンルームマンション建築に関する規制の適用はなく、被告会社にはこれらの規制を潜脱する意図はない。
また、東京都公害防止条例は、本件の住居地域について四五ないし五〇デシベルの騒音を発生させることを禁止しているが、このような条例に従えば、タイプライターの音でさえ条例違反ということになってしまい、およそ現実的ではない。右条例は、当該地域の暗騒音レベルを定めたものか、単に努力目標を定めたものと考えるべきである。そして、本件工事現場は、環状八号線の至近にあり、本件工事が行われていなくても、日中、五〇デシベル以上の暗騒音が発生している地域である。
(三) 日照被害の程度
本件マンションは、住居地域に存在するが、同地域についての日影規制基準を満たしている。原告アパートは従前から旧アパートに隣接して存在していたのであるから、日影の状態は従前と比較して若干悪化する程度ものに過ぎない。
(四) 被告会社の対応
被告会社が平成七年五月一七日に申し出た代替住居は、原告アパートの中では本件工事から最も遠く、本件工事による騒音の影響が最も少ない部分に位置する。また、後に被告会社が申し出た瀬田のアパートも、本件工事期間中の原告アパートと比較すれば騒音は少ない。
三 争点
1 本件工事により発生した騒音・振動による被害が、原告の受忍限度を超えるものか否か。
2 原告の損害額
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 前記前提事実に証拠(甲六、七、一二ないし二三、二六ないし三二、四一ないし四四、五〇、乙一、二、三の一及び二、一〇、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 本件工事は平成七年四月一七日から平成八年二月七日までの間、概ね午前八時ころから夕刻まで続けられた。
本件工事においては、まず旧アパートの解体工事が一週間程度行われ、その後本件マンションの新築工事が行われた。
被告会社は、本件工事の期間中、工事現場において、ショベルカーやハンマー等の工事機械を使用し、また、工事道具を上げ下ろしすることにより、概ね六〇デシベル程度の騒音を常時発生させ、右騒音は一時間に数回程度は八〇デシベルを超え、稀には九〇デシベルに至ることもあった。
右騒音の数値は、原告アパート二階廊下に設置された騒音計及び原告居室の本件工事現場側の窓付近に設置した騒音計(いずれも防音シート設置後に設置されたもの)によって測定されたものであるが、右居室内での騒音値については、窓を閉めた状態と窓を開放した状態では概ね一〇デシベル程度の差異がある。
(二) 原告はタクシー運転手であるが、タクシーは深夜一一時から割増料金となり、利用客も増えることから、右時間帯に稼働した方が高収入を得られる。原告は右のような理由で、午後七時から午前二時くらいまでタクシー営業をすることとしていた。そのため、原告はタクシー営業の終了した深夜二時ないし三時ころから午前一〇時ころまで睡眠をとる生活を送っていたところ、本件工事が発生させる騒音により、午前八時以降十分な睡眠がとれないことが多くなった。
(三) 原告は、本件工事が開始される以前に、本件工事の施主である被告大塚から本件工事の概要を記載した書面を受領したが、右書面には本件工事の工事時間が午前八時から午後六時三〇分であること、旧アパートの解体工事及び掘削工事において騒音の発生が予想される旨の記載があった。
(四) 原告は、平成七年四月二四日付けの内容証明郵便をもって、被告会社に対し、(1)騒音防止対策をとること、(2)工事開始時間を午前一〇時とすること、(3)(2)が実行できない場合は工事期間内の代替住居を提供すること、(4)(3)が実行できない場合には心身の健康とタクシー営業の損失に対し補償を行うことを求める旨を要望した。
(五) 被告会社は、原告の右要望に対し、平成七年五月一一日付けで、(1)原告アパートと本件工事現場との境界に二重の防音シートを設置する、(2)工事時間は社会通念上午前八時に開始されるのが慣例であるので変更には応じられない、(3)原告アパートの二階の二〇一号室を代替住居として提供し、引越費用は被告会社において負担する、(4)(3)の措置により補償については考えていない旨を回答し、その直後に右防音シートを設置した。
(六) 原告は、右回答に対し、さらに被告に対し通告書と題する平成七年五月一六日付け内容証明郵便を送付し、その中で、防音シートは一枚だけで騒音と振動に無配慮であること、工事開始時間が午前八時とは常軌を逸していること、代替住居の提供がされていないことを述べ、さらに、(1)一日当たり一万円の慰謝料を請求する、(2)タクシー営業について一日一万円の営業補償を要求する、(3) 原告の要望が達成されない場合には原告アパートの家賃を供託し、訴訟における判決時に右賃料債権と損害賠償債権とを相殺する、(4)原告の要望が達成されない場合には本件工事の差止めと慰謝料及び営業補償を求める民事訴訟を提起する、(5)被告会社の原告に対する対応を地域住民に開示することを通告した。
(七) その後しばらくして、被告会社は原告に対し、代替住居として瀬田のアパートを提供する(ただし、入居が可能になるのは六月一二日以降)ことを申し出たが、原告は瀬田のアパートは東名高速道路近くで、付近に二四時間営業の飲食店があり、また、近接してビルの空調設備排気口が設置されていることから、周囲の騒音が大きいこと、原告が営業車を駐車している駐車場との距離が離れていることを理由に右申出を拒絶した。また、被告会社は、迷惑料として二〇万円(その後三〇万円に増額)の金員を支払うとの申出もしたが、原告はこれを拒絶した。
(八) さらに原告は、被告会社に対し、近隣住民に対する説明会を開催するよう要望し、平成七年六月三〇日に右説明会が開催された。
また、原告は、同年七月一一日に世田谷区長宛に、本件マンションの建築確認の再審査と是正措置を求める要望書を提出し、同月三一日には世田谷区長宛に建築紛争の調整申出をなし、右申出に基づいて被告らも出頭して斡旋手続が行われたが、右手続は二回で終了した。
(九) 原告は、平成七年一〇月二〇日、東京地方裁判所に対し、被告らを債務者として本件工事の時間変更と慰謝料の支払を求める仮処分を申請したところ、右手続の中で、被告らは原告に対し代替住居を三軒紹介し、同年一一月七日、家賃等を被告らの負担として原告が右三軒の内の一軒に入居する(実際の入居は平成七年一一月二八日)という内容の和解が成立した。
(一〇) 本件工事現場及び原告アパートは、環状八号線に近接しており、付近の交通量は多く、本件工事が行われていない際の日中の暗騒音は概ね五〇デシベル程度である。
(一一) 本件工事開始以前に旧アパートが建っていたときと、本件マンションが建築された場合とで、原告アパートの日照状況にそれほど差異はない。
(一二) 原告は、本件マンション建築以前は、原告アパートから直接公道に出る方法に加えて、本件マンションの敷地を経由することによっても公道に出ることができたが、本件マンション建築工事開始以後は本件マンション側を経由して公道に出ることができなくなった。
2 右認定した事実によれば、被告会社は、本件工事期間中、防音シートを設置した後においても、概ね午前八時ころから常時六〇デシベル程度、ときには八〇デシベルを超え、稀に九〇デシベルに至る騒音を発生させており、右騒音は、原告居室の窓を閉め切ったとしても一〇デシベル程度減少するだけである。
東京都公害防止条例が、前記のとおり、午前八時から午後五時までは五〇デシベルを超える騒音を発生させることを禁止しているところに鑑みると、右のような騒音レベルは就寝に必要な静謐を害するに足りるものであり、原告は、深夜業に従事して、午前一〇時ころまで就寝する生活を送っていたものであるから、本件工事により午前八時以降相当程度の睡眠妨害を受けていたものと認めるのが相当である。
3 そこで、右認定事実に基づき、被告会社が発生させた右のような騒音による被害が、一般社会生活上受忍すべき限度を超えるものかどうかについて検討する。
(一) 被告会社は、原告アパートの所有者であり、原告居室の賃貸人である被告大塚を通じて原告が深夜業に従事していることを知り得る立場にあり、かつ原告居室と本件工事現場との位置関係からみて、原告が本件工事により発生する騒音に直接さらされることを認識していたにもかかわらず、原告から騒音について苦情を言われるまで原告の被害を軽減する何らの措置も採らず、放置していた。
(二) また、被告会社は、原告から騒音について苦情を言われ、直ちに防音シートを設置し、代替住居として原告アパートの二〇一号室の提供を申し出ている。しかし、右防音シート設置後も、本件工事により発生する騒音は、前記認定のとおりの数値であって原告の睡眠を妨害するのもであり、原告の被害を軽減させるほどの効果はなかった。また、原告アパートの二〇一号室は、原告アパートの中では本件現場から最も離れた一室ではあるものの、騒音の音源である本件工事現場との位置関係から見て、騒音の大幅な減少は期待できないといわざるを得ず、仮に原告が右二〇一号室に移転したとしても、原告が本件工事の影響から逃れることができたとまではいえない。
(三) さらに、原告は本件工事の当時六〇歳であり、加齢による身体の衰えと相俟って騒音による睡眠妨害が身体に多大な影響を与える状況であった。
(四) 一方、本件工事はほぼ午前八時から開始されているところ、本件工事が発生させる騒音により原告の睡眠が妨害されるのは、原告が深夜業に従事することを選択したことによるものであり、本件において原告に被害が発生するのは原告側の事情による部分があることは否定できない。
(五) また、本件工事が行われた地域は行政上住居地域とされ、周囲には住宅、ビル、マンション等が建ち並んでいるのであるが、付近には交通量の多い環状八号線が通っており、本件工事が行われなくても五〇デシベル程度の暗騒音があったことは前記認定のとおりである。
(六) さらに、本件工事開始後、被告会社が代替住居として原告アパートの二〇一号室の提供を申し出たことは前述のとおりであるが、原告が右申出を拒絶すると、次に被告会社は、瀬田のアパートを代替住居として提供する旨申し出ている。原告は、この申出を前記認定のような理由で断っている。
しかし、瀬田のアパートは原告アパートとは異なる場所にあることから、瀬田のアパートに移転すればそれ以後原告は本件工事による騒音の影響を受けることがないことは明らかであり、かつ、原告が瀬田アパートに移転した場合にも本件工事による騒音と同程度の騒音被害を受ける結果になることを認めるに足りる的確な証拠はない(原告本人の供述中には、右アパートにおいて本件工事期間中の原告居室と同程度の騒音が発生していたかのような部分があるが、瀬田のアパートにおける騒音状況について具体的な数値は示されておらず、右供述部分をそのまま採用することはできない)。さらに、瀬田のアパートは原告アパートと同じ世田谷区内にあって近接した住居区であり、原告が営業車の駐車場に赴くのにさほど不便が生ずるものとは認められず、結局、原告が挙げた事情は、自ら要求し、被告がこれに応じて申し出た代替住居への移転を拒絶するのに合理的な理由であるとは認めがたい。
(七) なお、原告は、本件マンションの建築により、原告アパートから本件マンションの敷地を経由して公道に出ることができなくなる不利益を被ったと主張するが、原告アパートから本件マンションの敷地を経由して公道に出ることができたのは、原告アパートと旧アパートの敷地所有者が同一人であるという偶然の事情による反射的利益に過ぎないものであり、原告がかかる利益を喪失したからといってこれを保護しなければならない理由は認められない。
また、本件マンションが建築された以後も原告アパートの日照状況にさほど変化が見られなかったことは前記認定のとおりである。
さらに、本件工事を行うについて、被告会社にワンルームマンション等に関する規定を潜脱しようとの意図があったと認めるに足りる証拠はない。
4 以上の諸点を総合すると、工事が開始された平成七年四月一七日から原告が瀬田のアパートに入居することが可能となったと認められる同年六月一二日までの期間に限っては、被告会社から原告の騒音被害を軽減するに足りる適切な措置が採られておらず、原告は一方的に本件工事による前記のような騒音にさらされていたものと認められるから、右の期間中に原告の被った騒音被害は、深夜業に従事していたという原告側の事情その他右に説示した諸事情を考慮に入れてもなお、社会生活上受忍限度を超えるものであったといわざるを得ない。
したがって、被告会社が右期間において前記認定のような騒音を発生させたことは受忍限度を超える違法な行為であり、被告会社は原告に生じた損害を賠償する責任を負うべきものである。
しかし、その反面、被告会社は、その後には本件工事現場から離れた瀬田のアパートの提供を申し出ることにより、原告の被害を軽減するための適切な措置を採ったというべきであり、原告は被告会社の右申出を利用して積極的に自らの被害を軽減することができる状況にあったことを考慮すると、その後に原告に生じた騒音被害はなお社会生活上受忍すべき範囲を超えるものと認めるに足りないというべきである。
5 なお、原告は本件工事により発生した振動による被害についても主張しており、原告本人尋問中には本件工事により著しい振動が生じたことを供述する部分があり、工事現場においてある程度の振動が生じることは経験則からも容易に推認できる事実であるから、本件工事現場においてもある程度の振動が生じていたものと推認することができるが、右振動の程度が具体的にどのようなものであったかを明らかにする的確な証拠はなく、それが受忍限度を超える違法なものであったことを認めることはできないといわざるを得ない。
6 ところで、原告は、被告大塚も被告会社と連帯して原告が被った損害を賠償するべき責任があると主張する。しかし、被告大塚は本件工事を施工したものではなく、被告大塚が被告会社と共同して前記認定にような騒音を発生させた事実を認めるに足りる証拠もないので、被告大塚が原告に対して不法行為責任を負うものとは認められない。
なお、被告大塚の本件工事に対する注文・指図についての過失が認められれば、被告大塚に対して不法行為責任を問う余地もあると解されるが(民法七一六条但書)、原告において被告大塚の右過失を認めるに足りる何らの主張はなされておらず、結局、原告の被告大塚に対する請求は理由がないというほかない。
二 争点2について
前記認定のとおり、原告は、被告会社の前記のような態様の不法行為により、五六日間にわたり、工事が行われなかった日を除き毎日二時間程度、睡眠妨害の被害を受けていたものというべきところ、証拠(甲八ないし一〇、二七、三六、三七の一及び二、四〇、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、原告は前記睡眠妨害により、肉体的にも精神的にも苦痛を覚え、体調を崩すこともあり、また、タクシー営業にも多少の影響が出ていたこと、原告は、将来的にはマッサージ師としての資格を取得して地域社会に貢献するという希望を有し、タクシー運転手として勤勉に稼働していた当時六〇歳の男性であるが、たまたま本件アパートに居住していたというだけで前記被害に遭ったもので、原告にはこの被害に関して何らの落度もないことが認められる。このような原告の精神的・肉体的・金銭的状況を考慮すると、本件における原告の慰謝料の額は、三〇万円と評価するのが相当である。
また、原告は、本件訴訟を提起するに当たり、原告代理人に訴訟遂行を依頼し、本件の騒音被害を立証するためにビデオカメラのフィルム代等の支出を要している(弁論の全趣旨)ところ、本件の騒音被害と相当因果関係を有するものとして被告会社が原告に支払うべき弁護士費用の額は三万円、フィルム代等は二万円とするのが相当である。
三 以上、原告の本訴請求は、被告会社に対し慰謝料三〇万円及び弁護士費用等五万円の合計三五万円の支払を求める限度で理由がある。
(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官安浪亮介 裁判官新谷祐子)